20230924_以前のドーナツってどれくらい大きかったっけ

・日記

インボイス制度が施行されることで、我々の生活がたちまち崩壊するわけではないだろうし、結局やるしかないのでなんとかしていくんだろうけど、すると「なんとかなったね」で話が終わってしまうのだろうな、ということを考えている。気づけばサイズが小さくなって値段は高くなったドーナツを食べながらこれを打っている。

 

人には色々あるので『転生したらスライムだった件』をちょっと見た。軽いノリで見られるのと作画が丁寧なのがとっつきやすくていいな〜と思った。

「毎週やってたらなんとなく眺めるくらいがちょうどいいアニメ」という基準が自分の中にあるんですが、その基準が高校生の頃の自分にとってのものであることに気がついた。「毎週決まった時間になんとなく何かを眺める余裕がある」というのがすでに生活として(ある視点から見れば)潤沢だな。転スラを見ているのも無職で時間があるからに他ならない。

何に時間を割けるのか、何に時間を割きたいのかという話でもある。「なんとか生活していく」というのはこういう余裕を削って「なんとか」を捻出していくことだと思う。

 

話は変わるが、定額払えばいつでも一定以上のコンテンツに触れられるサブスクリプションのサービスは本当にありがたい。CDなんて買わなくていいし映画館にも行かなくていい。自分の時間で選べる、というのも大きくて、これは前半の話題である「自分の時間を作る」という「なんとか」の捻出を、余裕ができた時間に欲しいものをスライドさせるかたちで解決してくれる。

それでも、俺はCDを買いたいし映画館にも行きたい。

何にどれだけお金を払うのか。何にお金を払いたいのか。SNSなどの無料サービスや、サブスクリプションの定額サービスは無数のコンテンツを提供してくれる裏で、自身でお金を払って選択するという、自分自身へのある種の責任(この言葉でいいんだろうか…)を無効にする。

これらが悪だなどと断罪する気は全くないが、おかげさまで様々な物事に対するいっちょがみが大変しやすくなったなとは思っている。それによって起こりやすくなった、扇動・増幅された正義感あるいは悪意による《なんとなく物申す》を如何に無視していけるのか・自分はそこに乗らないようにできるか、というのが今の個人的な課題です。

なんか良い感じに書きましたが要するにスルースキルが欲しいというだけの話。反応すべきものまでスルーしてしまうのは違うとも思っているんですが、それは自分が持っている問題意識に照らし合わせれば自ずと判別できることなのかな〜と思います。