20230812_実家

・日記

今日は夕方から用事があるので先に日記をつけておくことにする。

実家に帰ってきて、家に置きっぱなしの本を眺めながら、もう読まないにしろ「置いておく」という状態そのものがある種の資産であるなと思った。それは「置いときゃそのうち高値で売れるかも」みたいな話ではなく。自分の考えや嗜好はこれまで触れてきたものの積み重ねにあると思っており、そう言ったものを数える作業というのは自分のルーツに意識的になるきっかけになるし、物体として残ってなければ思い出すことができないものもやまほどある。

「あの時こう思った」と考えることは、自分の現在地を確認することである。それを引き出すためのモノが、文化的な資産としてこの家に残っているのだと思う。そのままスケールをデカくしていくと博物館などなどの存在意義にも繋がっていきそうだけど、そこまで深く考えているわけではないのでこの話はここでおしまい。

自分の家は狭くて本やCDを買っては売りを繰り返しており、それを『棚の新陳代謝』と呼んで自分で納得していたんですが、残せるなら残したいなあと思う。広い家に住みたいなと思いました。

 

それにしても実家はモノがたくさんあるしあんまり整頓されてないしで散らかっており、ハウスダストのアレルギー持ちにはかなりしんどい環境である。自分が住んでいた頃はもう少しマシだったことを思うと、居住環境は住んでいる人が何を優先して生きているのかという分かりやすいバロメーターになるのだなと感じる。あの頃家を整えてくれていたことへの感謝であったり、お〜いもう少しちゃんと生活してくれ〜という余計な心配であったり、実家に帰るたびにちょっと複雑な気持ちになる。当時はマジで全てを当たり前のように享受していたのでなんも考えていなかったなあと思うと後者については何も言えませんが。