20230720_特異点

・日記

就活をした。適性検査でひいひい言ってましたがとりあえずそこは通ってました。一安心。

 

昔書いたSSを手直ししてTwitterに載せた。

https://twitter.com/ktktsnsq/status/1681964931070181377?s=46

 

以前も書いたことがあるけど、御伽原江良と戌亥とこの二人にハマっていた時期がある。

人は変わるし年を取る。Vtuberはいずれその姿ではいられない瞬間がきっと来ていなくなる。

誰かが拵えた姿でロールプレイすること/それを逸脱すること/そして逸脱は改めて〝キャラ〟として解釈されうること。この逸脱をどう捉えるのかは人によって違うと思うけど、自分はそれを面白いと思っていた。〝ギャップ萌え〟とは違う、歪でスリリングな面白さだ。皮を食い破ってきたと思われた中身が、再び〝そういうキャラ〟として解釈されていく。御伽原江良を知っていく中で感じたのはそういう多重なレイヤーを持つ存在の面白さだった。そんな面白さを感じたのは初めてだった。

しかしその面白さは、先も書いたようにスリリングであり、いつ破綻するとも分からないものだった。強かであるように見えるのに、いつ消えてもおかしくない。そしてどう転ぶかも分からない不安定さと、彼女が見せるキャラクターは奇跡的な重なりを持っていたように思う。

そういう不安定さを持つ彼女の近くに、200を過ぎてから年を数えなくなったケルベロス、戌亥とこがいた。彼女は御伽原江良の持つ不安定さとはまるで対極に位置するような存在で、すでにあるキャラクターと本人の持つ〝キャラクター〟にズレを(あくまで個人的には)感じない人だった。勝手にいなくなるような人ではないだろうという安心感があった。本当にケルベロスだと言われたら、ちょっとは「まあその可能性もあるよな」なんて思ってしまいそうな人だった。わかるだろうか。御伽原江良の「逸脱」とは正反対の現象が僕の中で起きているのだった。

そんなふうに、見てる側からはパッと見真逆にしか感じられない二人が、人間とケルベロスが、何の因果か仲良くしていた。二人とも楽しそうで、自然体──ガワを被った配信者であることなど忘れさせてくれる──であるように感じられた。

 

いつか消える配信者がいて、残される視聴者がいた。

いつか死ぬ人がいて、遺される存在がいた。

 

御伽原江良を知ったことをきっかけに、様々なレイヤーに狂わされ、想いを馳せた結果が前述のSSでした。こうして振り返ると上に書いたことを本当にそのまんま書いている。個人的には自分の思いに対してかなりクリティカルに書けたなと思っていて、創作をするようになってから特に気に入っているものの一つです。

 

今回はそういう思い出語り兼作品解説でした。

同じような関係を今後も見ても、あの頃のような狂い方はきっと出来ないのだろうと思います。さまざまな意味で二人は僕にとっての特異点で、そうであるが故に、今でもまだこんなことを語りたくなってしまうのでした。