ある日の授業でたまたま同じ班になったフレンに「えっ、○○おもしろ! 知らなかったんだけど!」と言われたことを俺だけがまだ覚えてる。何かぼそっとしょうもないことを言ったら、それをフレンが聞いていたのだ。うれしはずかしだった。
翌日フレンは俺の顔を見て「○△、おはよ!」と言った。顔を覚えてくれてたことが嬉しくて、名前が間違ってることは笑ってスルーした。突っ込めば良かったと、ひとりで自分の席についてから思った。どう突っ込んだらいいのかは分からなかった。
教室の端の方にいる、どこにでもいる名字の俺と、いつも教室の中心にいるフレンは対極の存在だった。教室の隅ではなく、端の方。隅っこの存在にもなりきれず、中心の輪にちょっとかするような存在。居心地がいいのか悪いのか、分からない。
それからしばらく経ったある日、席替えがあって、俺はフレンの斜め後ろの席になった。フレンは後ろにプリントを回す時、俺と反対の方に体を向けるから、俺はフレンの後頭部ばかり見てる。でも、テストの点数を周りと競うときは、フレンは俺の前の子にまず声をかけるから、俺もその輪に混ざることができた。
競う、と言っても、フレンはいつも赤点だった。そんなフレンの出来の悪さを周りと一緒になって笑いながら、俺はすごく虚しくなった。フレンの点数の低さを人と一緒に笑うことでしかフレンと関われないことが虚しかった。俺はその輪の中だとフレンの次に点数が低くて、フレンには仲間扱いされたり、裏切り者呼ばわりされたりした。俺の名前は相変わらず何度も間違われた。それでも一緒の空間で笑っていられることが嬉しくて、バカでよかった、と思った。そして一層、フレンの出来の悪さを笑うことで馴染もうとする自分の惨めさに拍車をかけた。
フレンは学校行事にも積極的に参加した。やる気を漲らせるフレンに対して、あからさまにダラけて見せて、茶化すような態度を取る男子たちが嫌いだった。だけどあいつらはそういう形でフレンとコミュニケーションを取れるのだ。俺があいつらと同じような態度を取っても見向きもされない。フレンと仲の良い、要領のいいあいつらのことが、どうしても好きになれなかった。
それは人生をうまくやっていってる連中を見て、自分の不出来さを思い知らされるような気分になるからだと分かっていた。なのに、フレンだっていろんな人に愛されているのに、どうして俺はフレンのことは嫌いになれないんだろう。フレンが俺よりもバカだから? 俺よりも足りない何かがあるから? もしそうだとしたら、最低だ。俺は俺のことを許してはいけないと思った。
そんなことを思っているうちに、俺はフレンのことを考えているつもりで、自分のことばかり考えていることに気がついた。
ダサいな俺、と思いながら、誰もいない教室で夕日を眺めていた。部活動に精を出す連中を見下ろしていた。
「あれ、○△、帰んないの?」
不意に声をかけられて、振り向くとフレンがいた。俺の驚いた様子に、「忘れ物しちゃって」と、何気ない表情で自分の席に荷物を取りに行く彼女を見ていたら、途端に恥ずかしくなった。ひとりで物思いに耽っていたことを見られただけで、さっきまで考えていたことを見透かされてしまった気がして、最悪だ、と思った。
だけど、そんなときでもフレンはかわいい。かわいかった。
机の中からノートを取り出す彼女の垂れる髪を見ながら、俺がフレンのことを嫌いになれない理由は、もっとシンプルなものかもしれないと思った。
「……名前」
「え?」
「名前、間違ってんだけど」
出てきた言葉はとにかくぶっきらぼうだった。フレンに対して雑な態度を取る連中の気持ちが少しだけ分かった気がした。なんだか笑いそうになってしまった。
とにかく、そう言うのが精一杯だった俺に、フレンは目を丸くしたあと、大げさに両手を合わせた。
「うそ、ごめん! ずっと勘違いしてた……! ほんと、ごめん!」
フレンは本当に申し訳なさそうに頭を下げている。その真剣さに、俺は逆に申し訳なくなった。別に間違ってたっていいのだ。特に嫌な気持ちがしていたわけでもない。マジで気にしてるヤツみたいに思われたいわけじゃなかった。もっと溌溂とした様子で笑いながら謝る様子を想像したりもしていた。想像は想像でしかなかったけど。
「別に、全然、気にしてないから」
そう言って、足早に教室を出ようとしたところを、フレンに呼び止められた。
「ねえ、ええと……○○、で合ってる?」
「……正解」
言った瞬間、自分の返答に鳥肌が立った。“正解”て。キモ、と思った。なのに、口元は名前を呼ばれた嬉しさで緩んでいて、それもますますキモかった。フレンは俺の名前を間違えなかったことにホッとしたのか、明るい口調で、舞い上がっているキモい俺に言った。
「じゃあ、○○、また明日」
「……ん。またぁした」
たった一言にしどろもどろになりながら、俺は教室を出た。今の返事はキモくなかっただろうか。いやキモいだろうか。俺はキモいと思ったけどフレンはどうだろうか。わからない。何から何まで自意識過剰で、想像した通りにならない現実に落胆したり、都合のいい妄想だったと自分を嗤ったり。こんなことを考えていると知ったらフレンは何を思うだろうか。ぐるぐる考えながら校舎を出た。フレンと話した、俺たちの教室を見上げる。
人影のない教室を見つめながら、明日またフレンが俺の名前を呼んだら、その時は俺もちゃんとフレンの名前を呼ぼうと、そう思った。
何年か前にpixivに載せた小説を発掘したので手直しして載せました。
これ書いた頃から何も変わってないなと思いました。
おわり。