20231212昼_鈴木②

・日記

郁田はるきのプロデュースをする前に鈴木のことを考えている。「鈴木」の続きです。

「平行線の美学」の歌詞を主に鈴木についてのことだとすれば、「鈴木羽那本人に大した(カテゴライズ/ラベリングできるような)中身は多分ない(と鈴木は思っている)」と考えられる。基本的にこれを前提にして考えると、W.I.N.G.で描かれる話も、ステージやファン対応と言った求められるものを(クリティカルに)出せるパフォーマンスに長ける一方で、撮影のような自分を出す感じの仕事は苦手、と読めなくもない。とはいえこれは、撮影もカメラマンの求めるものを出さんかいという話をしたらそれはそうであり、ライブだって自分を出す行為ではないんですかという話にもなるので、見る角度で意味がスライドする事象でキャラを語るのは恣意的すぎるのであんまりやりたくないっすよね、と思うが。

「あれをやりたいこれをやりたい」という自身の意欲がないことを指して無色(カラーレス)と呼ぼうとしてる可能性もなくはないのかもしれない。例えばそこから、「それでも熱烈に求められたから、言われた通りに/相手の期待を汲み取って、アイドルをやっている」鈴木がだんだんおかしくなっていく様子を通して「そのへんの女の子をひっ捕えてアイドルをやらせるプロデューサーの罪」を描くこともできなくはないと思うし、シャニマスの空気感的にゼロと言えないと思うんですけど、それアイドルマスターのお話としておもろいんかな〜。読んだら読んだでおもしろいね〜って言いそうな気もするな〜。全部憶測でしかないですが。

などとモダモダ考えると、想像する余地は無限にあるが、やっぱり鈴木がなんで岡山から上京してまでアイドルをやってるのか、それがなんらかの形できちんと語られない限り鈴木論は空想でしかないと思うし、それをろくに匂わせもしなかった鈴木W.I.N.G.は、今後何かしらの展開をやるんでしょという期待、つまるところシャニマスのブランドにかなり胡座をかいてやがるなと思った。それにまんまと乗っかって鈴木の補完を試みようとする俺も俺だが……。ムカつくぜ〜っ。あとユニットのユの字が出てこなかったのもあんまり納得いってない。

イベントを読めばこのへんが分かるかもしれないけど、W.I.N.G.の時点で(おいおいお〜〜〜い)と思ってしまったので、脳みその整理のために書きました。

現場からは以上です。