20231230_保留/実在

・日記

引き続きミリシタをプレイしています。いろんな曲があって、ジャンルに縛られない感じもアイドルソングとしてのキャッチーさも持ち合わせていて好き。

とは言え両手放しでさいこ〜!と思っているかと言えばそういうわけではなく、実は歌詞については一部の保留付きで楽しんでいる感覚があります。今から語ることがちゃんと伝わるか自信はあんまりないんですが、この保留は自分にとってある種楽しい保留であることを前置きしておきます。俺の感覚だけで語るので、他人がどう感じているかは知りません。

どういうことか、簡単に言えば〝時々出てくる「セクシャル」のラインがなんか古いな〟で、そういうところ込みで俺はミリシタの曲を「平成感がある」とよく言っています。おそらくこれらを三次元の人間が歌っていたら多分俺は「今令和やぞ」と興味をなくすんですが、アイドルマスターというコンテンツ自体が「現実にあるアイドル」があって初めて成り立つものである(と俺は思っている)が故に、時折〝なんか古いな〜〟と思う歌詞を『アイドル歌謡に対するオマージュやパロディ』と捉えて楽しむことができる。そこに、自分なりのフィルター(保留)を通して歌詞を噛み砕く行為が発生している。つまり、歌詞そのものが好きなわけではなく、歌詞を保留込みで楽しめる構造を面白がっている、という感じです。実在していないからこそ「あるあるw」などと俺は面白がれる、という。ちなみにこの「あるあるw」はこんな歌詞が本当にあったかどうかが問題ではなく、こう言う空気感を俺は平成の曲に感じていたよ、です。

これは歌詞の表現そのものがいいじゃ〜んと言いたいわけではないので両手放しで即さいこ〜とは言ってないよ、という自分に対する言い訳でもあります。そもそも自分に対して言い訳する必要あるんですか?自分が気持ち良く楽しむために必要なんです。もちろんそんな歌詞ばっかなわけではなく、別の角度から面白がれる歌詞もあったり、曲が多種多様で好きです、というのは最初に言った通り。

 

そういうことを考えていると、同じアイマスとしてシャニマスの曲にも思いを馳せることになるんですが、こっちは完全にシャニマスの世界観のための曲だなとよく思う。そこでシャニの『実在性』ってやつをどう担保するかという点で、我々の世界にあるいくつかの音楽性をユニットそれぞれにあてがってユニットのコンセプトを固め、歌詞はキャラにイメージを寄せていくことで〝あっち(=シャニマス)側にあるリアリティ〟を形作るようなやり方をしてるのかな〜と思います。

あと最近は⚪︎⚪︎×アイドルと、特定の音楽性をコンセプトとするアイドルユニットも大量に存在しており、現実のそういうアイドルの在り方ともリンクする部分があるよねと思ったりもして、〝特定のアイドルっぽい〟というより〝こういうのあるよね〟というかたちで『実在性』を産んでいる気がする。これもいわゆるパロディと呼べそうなんですが、こちらで比較する相手が定まらない分、残された存在感だけが膨らみ、「(こっちに)あるあるw」が「(あっちに)いる(迫真)」に変わるような感じがしています。実在性が強くなるほど保留する余地がなくなる感じはある気がする。断定したくないので「気がする」とめっちゃ言っています。

 

という感じで、自分の中でキャラをあんまり知らんくても楽しいミリの曲とキャラのイメージを補強していくシャニの曲の聴き方は俺にとってほぼ正反対にあるんすよ、という話でした。